大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大津地方裁判所 昭和54年(わ)57号 判決 1981年4月28日

主文

被告人は無罪。

理由

本件公訴事実は、被告人は

第一、酒気を帯びアルコールの影響により正常な運転ができないおそれがある状態で、昭和五一年一一月二〇日午前一時ころ、滋賀県高島郡安曇川町川島一二八七番地の一地先町道において、普通乗用車を運転し

第二、自動車運転の業務に従事しているところ、前同日午前一時前ころ、同郡高島町永田所在のスナック喫茶「パーラー渚」前駐車場において、前記自動車を運転して発進しようとしたが、前記のようにアルコールの影響により正常な運転ができないおそれがある状態であったから、自動車の運転を差し控えるべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、漫然同車の運転を開始し進行した過失により、同日午前一時ころ、前記第一記載の場所に差しかかった際、酒酔いのためハンドル操作を誤り、自車を道路右側の田圃に暴走転落させ、その衝撃により、自車助手席に同乗していた岡田常俊(当時二四才)を車外に投げ出させ、よって、同人を間もなく同所において頭部外傷Ⅱ型により死亡させたものである。というのである。

しかし、被告人及び弁護人は、右各日時場所において本件自動車を運転していたのは死亡した岡田常俊であって、被告人は同車の助手席に同乗していたものであると本件各犯行を否認するので、検討するに、後記各証拠と証人南治の当公判廷での供述及び医師宮浦靖郎作成の死体検案書によれば、本件事故は前記公訴事実第一記載の日時に同場所付近の田圃内において、その事故直後にその物音で現場に駈けつけた付近の人らによって、岡田常俊が既に停止していた本件自動車の傍で頭部外傷第Ⅱ型により即死に近い状態で死亡し、被告人は同車の前方約二〇メートルの田圃内で四つんばいになって呻吟しているところを発見されたもので、本件はその交通違反または事故当時について他に目撃者等の直接証拠のない事案であり、検察官は被告人が本件自動車を運転していたものとする有力な情況事実として

(一)  本件事故直後に、本件車両内運転席の下に被告人の履いていた鼻緒付き草履があり、助手席の下に岡田常俊が履いていたスリッパが存在していたこと。

(二)  被告人は本件事故により左足大腿部に挫傷を負っていること。

(三)  岡田常俊の顔面の傷害の部位が左側に集中していること。

(四)  本件事故車両が被告人の所有であること。

の諸点を主張するものであるところ、

右(一)につき、証人芦田宗俊の当公判廷での供述、同人作成の昭和五一年一一月二五日付実況見分調書、押収してある鼻緒付き草履片方及びスリッパ片方によれば、同主張のような事実が認められるが、右各証拠のほか証人福山文夫及び同坂田八昭の当公判廷での各供述、司法警察職員作成の同年一一月二二日付及び同年一二月二日付各実況見分調書、当裁判所の現場検証の結果、坂田八昭作成の鑑定書及び押収してある写真一〇枚一組を総合すると、本件自動車は前記公訴事実第一記載の道路上より落差約〇・八メートルの右側田圃内に落下暴走しているものであるが、その際、かなり高速度で道路右脇のコンクリート製の溝渠の枠に車体前部を激突させ強い衝撃を受けながら、同所より約三〇メートル先の田圃内まで暴走し、停止するまで四回程同田圃内でバウンドし、その間車体を前後左右に大きく揺れ動かし、特に左右については横転に近い状態で動揺し、最終着地までに同車体の右側面を下方にしてバウンドしている形跡が認められるのであって、このような状況下にあっては運転者と助手席にいた者との各履物が散乱し入れ替る可能性は多大であるから、本件において右履物の残置箇所によって右両名の座席の位置を確定することは困難である。

右(二)につき、検察官は被告人の同傷害は運転者の左足前付近に存在するチェンジレバー先端の球型ノブによって生じたものであって、助手席にいた場合その原因は考えられないものと主張し、司法警察員作成の同年一二月七日付実況見分調書によれば、被告人は本件事故により左大腿部上部に鈍器用の物によって生じた四針の治療を要する挫創を負っていることが認められるが、同傷害がチェンジレバーの球型ノブによって生じたものであれば、右傷害の程度から同レバーに相当強力な衝撃力と荷重が加ったものと考えられるところ、前掲各証拠によれば、事故後の本件車両のチェンジレバーには何ら異常の点がないばかりか、同車両の左右の窓ガラスはいずれも破損、飛散し、左側ドアは閉じたままの状態であったことが認められ、本件事故の場合助手席にいた者は左側の窓から飛び出したものと推認されるが、押収してある写真四枚一組によれば、右傷害はその窓から飛び出した際窓枠等に接触して生じる可能性も考えられるので、右傷害がチェンジレバーによって生じたものと断定することはできない。

右(三)につき、検察官は特に岡田常俊の左耳に事故車のガラスの破片が入っていたこと等は同人が助手席にいた証左であるとし、司法警察員作成の一一月二五日付実況見分調書(検甲四号証)及び医師宮浦靖郎作成の「傷害の部位状況についての回答書」(検甲六号証)によれば、岡田常俊の死体には右側顔面には傷跡はなく、左側顔面に多発切創と左耳介後部に一箇所の切創及び左耳にガラスの破片が入っていたことが認められるが、検察官の捜査関係事項照会に対する医師片岡善夫の回答書によれば、被告人も本件事故により左耳介後部挫創及び顔面多発切創の傷害を受けていることが認められ、前記のように本件車両がその事故の際溝渠枠に激突し激しいバウンドと動揺を重ね左右の窓ガラスが飛散している状況下において、右のように被告人に比較して岡田常俊の傷害が主に左顔面に生じているという程度の事柄をもって、同岡田が助手席に位置した左側窓ガラスの破片等によってその傷害を蒙ったものであるとは断定し難い。

右(四)につき、検察官主張のように本件車両が被告人の所有車であることは被告人の認めるところであるが、この点につき被告人は捜査段階の当初から当公判廷における供述まで一貫して「職業運転手である被告人が飲酒運転で検挙され免許停止等の行政処分を受けて失業することを妨ぐため、岡田常俊が好意的にわざわざ同人の自動車から同人の運転免許証を取出し所持して、本件自動車を運転してくれた」旨の弁解をしており、証人岡田昇の当公判廷での供述によれば、岡田常俊は死亡時に自動車運転免許証をその着衣内に携帯していたことが認められ、一応被告人の右弁解に不自然性もないことから、本件自動車が被告人の所有に係る一事をもって、本件各犯行時被告人が同車を運転していたものと推認することも困難である。

以上のように右各情況事実とその証拠は個々に検討すれば、被告人が本件犯人と断定し得る資料とはなし難く、他にこれを認めるに足る証拠はない。ただ推認資料として以上の諸事実を総合すれば、一見被告人の犯行ではないかとの疑が残らないでもないが、右は疑念の程度に止まるばかりか、前掲各証拠殊に検甲四、六号各証及び証人宮浦靖郎の証言によれば、岡田常俊の死体の右側胸部に圧挫痕の傷害が認められるのにかかわらず、その検死の際同傷害の症状の程度や圧迫度の強弱の度合等の解明(助骨々折の有無等の検査)がなされておらず、その部位と痕跡から同傷害は本件事故の際ハンドルによって生じたもの即ち同人が運転席に位置した可能性が考えられることからも、証拠上到底被告人が本件自動車を運転し本件各犯行に及んだものと断定することは困難であるといわねばならない。

従って、本件各公訴事実は犯罪の証明がないことになるから、刑事訴訟法三三六条により、被告人に無罪の言渡しをする。

(裁判官 土井仁臣)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例